知って得・あなたの生活をもっと豊かに!

こんにちは、拙作ブログのご紹介です。このブログは河原健次がお届けしています。大分市出身、木更津市在住です。すでに半世紀以上も生存しています。その長い歴史から、日常生活や人生に参考になりそうな情報を提供しています。読者のみなさんに役立つことを願っています。

元拓大紅陵監督・小枝 守さんを偲ぶ(拓大紅陵・小枝監督の追悼記事)

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2013/07/08 拓大紅陵グラウンドにて

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2004/3/13 金子圭輔(元ソフトバンク、志學館)と

 

 

 こんにちは、

拙作ブログをご覧いただきありがとうございます。


今回は、特別掲載です。

 

先日(2019年1月21日お亡くなりになりました、

小枝監督について書かせていただきます。


その小枝監督ですが、

既に拓大紅陵の監督を退いています。

 

ですが、ここでは親しみを込めて、


小枝監督と呼ばせていただきます。

 

  

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1.訃報を受けて

小枝監督がご逝去されました。

 

2019年1月21日午前9時7分


肝細胞がんのため都内の病院で・・。


享年67歳です。

 

ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

その悲しみの中です。


ショックで何も考えられないのですが、

監督のことを書かせていただきます。

 

どうしても書きたいのです。

 

今でしか書けないことがあります。

 

悲しみのどん底から、

その言葉を絞り出します。


私の正直な気持ちです。

 

今の気持ちを、

どうしても残しておきたいのです。


監督への感謝の気持ちを込めて書きます。

 

2.拓大紅陵の戦績・最近の甲子園出場

まずは、
小枝監督が率いた拓大紅陵最近の主な戦績です。

 

2-1.2002年夏・甲子園へ

拓大紅陵は2002年の夏、

千葉大会を制し甲子園に行きました。

 

そのときの写真が以下です。

 

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2002年夏の千葉大会優勝

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2002年7月28日 千葉マリンスタジアムにて

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2002年7月28日 千葉マリンスタジアムにて

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2002年7月28日 千葉マリンスタジアムにて

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2002年7月28日 千葉マリンスタジアムにて

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2002年7月28日 千葉マリンスタジアムにて

 

2-2.2004年春・甲子園へ

2003年秋の千葉県大会で優勝した拓大紅陵は、

関東大会でも優勝し、

春のセンバツに選ばれました。

 

下の写真は千葉県大会で優勝したときのものです。

 

2003年10月5日 千葉県野球場

 

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2003年10月5日 千葉県野球場にて

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表彰式 2003年10月5日 千葉県野球場にて

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優勝行進 2003年10月5日 千葉県野球場にて

 

下の写真は、

春のセンバツ出場を前に、

新聞社の取材を受けているところです。

 

なんか初々しさを感じますよね。

 

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センバツ出場を前に新聞社の取材を受ける 2004年2月7日 拓大紅陵にて


3.監督のシートノック

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私は監督のシートノックに憧れていました。

 

といっても私は野球は素人です。

 

しかし、その素人の私が見ても、

監督のノックには惚れ惚れするものがありました。


3-1.練習試合のとき

練習試合の時は、

監督に許可をもらい、

グラウンドに降りさせていただきました。


ですので、

監督のシートノックを間近で見ることができました。


しかも、

低いアングルからです。
(監督の表情がよく見えます)


午前中の早い時間帯でしたので、

空気もきれいでしたし、

 

しかも、

きれいな朝日が照りつける逆光でした。


これは撮影条件としては最高です。

 


監督の目が輝いていました。

 


ノックする姿が躍動感に満ちていました。

 

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3-2.ノックは自由自在

そのノックについて少しだけご紹介させていただきます。


という私は、野球はド素人です。(前述)


これは監督から聞いた話です。

 

①いろんなボールが打てる。

 

②トップスピンとか、バックスピンとか。

 

③選手がハンブルするようなボールも。

 

なかでも、

私が一番印象に残ったのはこの言葉です。

 

選手が捕れるかどうかの、

ギリギリのところにノックする。

 

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1本目は捕れない球。

 

2本目は捕れる球。

 

この2種類を使い分けるのです。

 

この2種類の打球で、

本人に力をつけさせながら、

同時に自信を持たせるのです。

 

ノックボールを自在に操りながら、

同時に、

選手の成長を考えていたのです。

 

まさに、
監督の打ったボールは、

監督の魂が乗り移っていました。

 

見事なシートノックです。

 

4.監督が叱ったとき

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2004/3/7 於.拓大紅陵グラウンドにて

4-1.腕立て伏せ

まずは上の写真を見てください。


監督が選手に罰を与えているシーンです。


ベンチ前での腕立て伏せです。


このときは、たしか攻撃中だったと思います。


監督のサインを見間違えたのでしょう。

(それとも、見落としたのかな?)

 

その「罰」です。

 

私はこのとき、

「う~ん」とうなりました。


普通の監督だったら、

ここは間違いなく罵声と体罰です。


私は過去に、そのようなシーンは何度も見たからです。

 

でも、

小枝監督は違っていました。

 

罰は「腕立て伏せ」だけです。


これだったら、

罰と筋力アップの一石二鳥です。

 

見事な選手愛です。

 

5.早朝練習

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2011年12月17日 拓大紅陵


圧巻だったのは、

冬の早朝練習でした。


朝4時ごろから延々と3時間。

 

その早朝練習に私も参加させていただきました。
(もちろん、

練習なんかできるわけがなく取材というかたちで)

 

しかも、幸運なことに、
監督に許可をいただきグラウンドに降りさせていただきました。

 

5-1.朝練メニューはすべて監督のオリジナル

その朝練メニューは、

すべてが小枝監督のオリジナルなものでした。

 

種類にして20種類はあったでしょうか?

 

そのすべてが、

理論に裏付けされていました。

 

と、素人の私が言っても説得力がありませんが、

監督自らがそんな話をしてくれました。

 

理論に裏付けされているため、

いわゆる根性論ではありません。

 

しかも、

その練習の順序までが考え尽くされていました。

 

5-2.BGMをまじえて

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2011年12月17日 拓大紅陵

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2011年12月17日 拓大紅陵


練習中はいつも音楽が流れていました。

 

テンポはリズミカルな曲ばかりです。

 

その曲の選曲からテンポの調整までを、

監督自らが行っていました。

 

上の写真がそのときの様子です。

 

監督の前にあるのがプレーヤーとスピーカーです。

 

選手の疲れ具合によって、

曲やテンポを変えていました。

 

細かいところまで、

目配りや心配りが行き届いた監督でした。

 

6.中学生講習会

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中学生講習会は、

楽しさに溢れていました。


通常では見られない監督を見させていただきました。


もちろん、

私もグラウンドに降りて、

じかに講習会内容を見させていただきました。

 

6-1.教え方が優しくて丁寧

教え方の基本は高校生相手のときと同じです。


同じですが、顔が違っていました。


終始、笑顔です。


恐い顔は一切ありませんでした。


まさに、

自分の子供に接するようでした。

 

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こときだけは、

私もほっとしていました。


余裕をもって、

撮影することができました。


同時に中学生たちと一緒に、
学ばせていただきました。

 

7.野球教本作成のお手伝い

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唯一、

監督さんのお手伝いをさせていただいたことがあります。


監督が監修する「野球教本」の作成です。

 

7-1.写真撮影とパソコン入力

といっても、

私は前述のとおり野球のド素人です。


監督の言うとおりにやっただけです。


守備編では、

走者がいるときのフォーメーションを、

実写させていただきました。


高いアングルから撮影したい、監督に伝えると、

すぐに、

椅子やベンチを持って来てくれました。


いつも監督と二人三脚の撮影でした。


何だか、

私の撮影技術が認められたようで、

このときほど嬉しかったことはありません。

 

7-2.盗塁スタート時の足の向きまで

とくに印象に残ったのは、

盗塁時の足の向きです。


親指の付け根がどうのこうのとか、

足の裏がどうのこうのと言っていましたが、

私にはちんぷんかんぷんでした。


ここでも、

写真を何度も撮り直しましたが、

 

小枝監督ってかなりの理論派だ。

 

と感心したものです。

 

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2003年4月19日 拓大紅陵にて

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2004/01/25 拓大紅陵グラウンドにて

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7-3.文章の一字一句まで

理論派といえば教本の文章もそうです。


もちろん、

原稿の段階から本人(監督)が書かれたのですが、


ゲラの段階で何度も修正が入りました。


最低でも3次ゲラまで入ったたでしょうか?


それだけ理論に詳しく、

かつ、

教本の目的を理解して少しでも良いものを、
と思っていたのでしょう。

 

私もその熱心さに負けました。


私の本職はサラリーマンですが、

その本職どころではありませんでした。

 

8.監督がいないときはさびしかった

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練習風景を撮りにいって、

監督がいないときはさびしかったです。

 

それは選手たちも同じだったと思います。

 

このときは、

選手たちは普段とは違って、

今ひとつピリッとしていませんでした。


覇気がありませんでした。

 

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それだけ、

小枝監督の存在が大きかったのです。

 

選手たちだけでなく私も。

 

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【上の写真】
上の写真は他校の選手へ指導しているところです。

 

9.敗戦翌日の取材

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2004/07/20 拓大紅陵グラウンドにて

それは、

敗戦翌日でした。(上の写真)

 

前日の2004年7月19日、

千葉マリンスタジアムにて、

志学館に4対5とサヨナラ負けを喫しました。

 

そこで、

どうしても小枝監督に聞きたくて、

翌日学校に押しかけました。

 

サヨナラ負けを喫した志学館との試合中、

監督は、

ピンチでも殆ど指示を出すことをしませんでした。

 

その理由を聞きたかったのです。

 

9-1.試合より選手の将来が大事

その理由とは、

選手の修行のため

 

だったそうです。

 

社会に出ても同じような試練が待っている。


いえ、それ以上の試練かもしれない。

 

その試練は、

自分で乗り越えなければなりません。

 

野球でも社会でも同じです。

 

最後は、
自力で乗り越えなければなりません。

 

そのことを教えたかったそうです。

 

常勝を期待された総指揮官。

 

負けたら終わりの「がけっぷち」で、

その総指揮官が選択したのは、


「人生の修行」

 

だったのです。

 

その行為に私は痛く感銘を受けました。

 

そして、

監督は最後にこうおっしゃいました。

 

また行(ぎょう)の始まりだ。

 

10.おまえらの野球には心がない

監督のことで思い出しました。

 

追記させてください。

 

あれは、2003年5月10日、

甲府工高を迎えての練習試合のときでした。

 

試合後に、ベンチで選手たちに言ったのです。
(下の写真) 

 

『おまえらの野球には心がない』

 

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2003年5月10日 拓大紅陵にて

ここで、

監督は何を言いたかったのでしょう。

 

野球の心とは?

 

その後、直接聞くこともできずに、

このことは、

私の「宿題」となってしまいました。

 

・仲間をもっと気遣え。

 

・自分のことをもっと見つめろ。

 

・果敢に挑戦せよ。

 

いろいろと考えましたが、

まだ答えは出ていません。

 

ただ、頭に残っているのは、

あのときの空気感です。


ぴーんと張り詰めた雰囲気。

 

ぞくぞくとする緊張感。

 

そのことは、

上の写真を見れば分かるでしょう。

 

監督の顔こそ写っていませんが、

間違いなく真剣な眼差しだったのでしょう。

 

おまえらの野球には心がない 。

 

これはどういう意味なんでしょうか?

 

監督は何が言いたかったのでしょうか?

 

11.選手たちの「甘え」を見抜く

また思い出したので追記させていただきます。


2003年11月23日の拓大紅陵での出来事です。

 

この日は冬季お馴染みの「早朝練習」でした。

 

 

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2003年11月23日 拓大紅陵にて

この朝練で監督はこうおっしゃいました。

 

「立てた計画をなぜ変えるんだ」

 

計画とは、練習計画のことでしょう。


朝練メニューのことです。

 

それを選手たちが勝手に変えたのだ。

 

理由は分りません。

 

しかし、監督は直感して、

彼らが「楽をしたい」のではと推察しました。

 

つまり、

選手たちの「甘え」です。

 

選手たちの甘えようとする心を見抜いて、

発したのがこの言葉でした。

 

人並みのことをしていては、

人並みのことしか出来ない。

 

きつい練習だが、計画だけでなく、

実践してこそ価値があるのだ。

 

それを監督は言いたかったのだと思います。

 

選手たちは「はっ」と目が覚めました。

 

それを見て私はうなりました。

 

監督も大したものなら、

それにすぐ気がつく選手たちも立派だ。

 

12.考える野球

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2003年5月24日 拓大紅陵にて

もう一つ小枝監督の言葉を紹介しましょう。


2003年5月24日の練習試合の時です。

 

ベンチで監督が選手たちに言っていました。

 

「もっと考える野球をしようじゃないか」

 

聞いている選手たちは必死です。


真剣です。

 

それは彼らの目を見ていれば分かります。

 

では、あえてたずねる。

 

「考える野球」とは?

 

それは受け身ではなく、

自分から積極的にやる野球のことである。

 

監督や人に言われてから動くのではなく、

自分で考えて動くのである。

 

しかも、
そのやることを自分なりに理解、納得するのである。

 

そうでないと、
その行動は自分のものにならない。

 

つまり、自分の力にならないのである。

 

しかも、この姿勢は野球だけでなく、

人生にも通用する大事なことである。

 

それを監督は言いたかったのだろう。

 

ここにも、

野球を人間育成の手段とする、

監督の人柄が表れています。

 

13.何をやっても1日は1日

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2003年11月16日 拓大紅陵にて

それは冬だけに行われる「早朝練習」のときでした。


朝4時からの「早朝練習」は、延々と7時過ぎまで行われます。

 

その3時間は、

「地獄」の時間でした。


選手たちの体はヘトヘトに疲れ切っていました。

 

その過酷な練習が終わったときに、

小枝監督から発せられた言葉です。
 

「何をやっても1日は1日、

苦しくても1日、楽しくても1日」

 

同じ1日をどう使うか・・。

 

みんな同じ練習をしています。

 

時間も同じ3時間です。

 

その同じ3時間というものを、

どう使いどう過ごすか。

 

つきつめていうなら、

1日をどう過ごすかです。

 

これは、本人の考え方です。

 

本人の「価値観」です。

 

野球と、どう向きあうか。

 

その向き合い方で「結果」が変わります。

 


楽しても1日、苦労しても1日。

 

さて、

あなたはどちらをとりますか?

 

そのことを、

監督は言いたかったのでしょう。

 


簡単なようで、

難しい問いかけです。

 

14.監督がボールの選別を

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2004年1月18日 拓大紅陵にて

上の写真は偶然に撮影したものです。

 

いつもどおりの取材で、

拓大紅陵にお邪魔したときのことです。

 

なんと、
監督がボールの選別をしていたのです。

 

使えるボールと使えなくなったボールを分けていたのです。

 

えっ?!

 

と、自分の目を疑いました。

 

ボールの選別なら、

他の人でもできるはずです。


それを、

よりによって監督が行っているではありませんか。

 

これは、たまたま遭遇した偶然のシーンなのか?

 

それとも、昔からやっていることなのか?

 

多分、

監督には監督の考えがあってのことなのでしょう。

 

その考えとは何なのか?

 

そんなこと、

私ごときが分かるはずもありません。

 

ただその行為が新鮮に見えました。


「人間」小枝監督とでもいいましょうか。

 

そんな新鮮な光景を見た思いがしました。

 

今となってはなつかしい貴重な写真です。

 

 

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2004年1月18日 拓大紅陵にて

 

15.味のある野球とは?

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2003年6月8日 袖ヶ浦球場にて

2003年6月8日、袖ヶ浦球場での出来事です。

 

千葉県南部地区大会/決勝で、

志学館に負けた直後のベンチです。

 

監督はこう言いました。

 

「味のある野球とは?」

 

拓大紅陵の野球とは?」

 

選手一人ひとりに、

そう問いかけていたのです。

 

それ以上は言いませんでした。

 

問いかけだけで、

答えは言いませんでした。

 

監督はいつもこうです。

 

答えは自分で考えさせるのです。

 

「味のある」

 

拓大紅陵らしい」

 

答えは何なのでしょうか。

 

①「内容のある野球」

 

②「中身の濃い野球」

 

③「次につながる野球」

 

④「自分で考える野球」

 

⑤「支え合う野球」

 

⑥「一丸となった野球」

 

⑦「高校生らしい野球」

 

⑧「負けても得るものがある野球」

 

う~ん、どれもあてはまりそうですが、

どれが「正解」なのかと問われれば、

自信はありません。

 

多分、
この答えを考えることが大事なのだと、

おっしゃりたかったのではないでしょうか。

 

それが「考える野球」に通じるのだと。

 

その「考える野球」で、

普段の生活が変わるし、

練習にも役立つ。

 

監督はそう考えたのではないでしょか。

 

16.まとめ

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ここまで一気に書き上げました。

 

推敲も不十分なままです。


読みづらいところもあったかと思いますがお許しください。

 

とにかく、

頭の中にあるものを忘れないうちに文字にしたかったのです。

 

だから、

早く書くことを優先しました。


私の今の気持ちを、

記録として残したかったのです。

 

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◆残りの写真

小枝監督の写真は、まだ沢山あります。

その1枚1枚は監督と私との歴史です。

後日、余裕ができたところで、
追加させていただくつもりです。

 

 ◆監督、ありがとうございました。

小枝監督のあの笑顔がたまりません。

 

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2002/07/27 千葉マリンスタジアムにて

 

選手たちは「恐い」といっていましたが、

そんなことはありません。


私の家族みんなが監督の大ファンです。


ドライブの途中、

コンビニでお会いしましたよね。


ニコニコと笑いながら、

こちらの話を聞いてくれました。


気さくなかたです。


私の家族みんなが喜んでいました。


そして、

また一気に大ファンになりました。

 

監督、ありがとうございました。



そしてお疲れさまでした。



安らかにお眠りください。

 

 

まだ涙がとまりません。

  

告別式の記事を追加しました。(下記)

 

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 © 日刊スポーツ新聞社 飾られた小枝元監督の遺影(撮影・滝沢徹郎)

◇年月日 : 2019年1月28日
◇場所 : 東京・西五反田の桐ケ谷斎場
◇参列 : 約300人が参列。
◇弔辞 : 拓大紅陵の沢村史郎監督(53)さんが、
弔辞で故人の実直な人柄を披露ました。

 

◇故人から沢村さんへの最後の言葉

『生徒の心の教育をしっかりしなさい』

と言われたのが、最後になりました。


監督の遺志を受け継いでいきます、と誓った。

 

◇棺には。。

日大三拓大紅陵、日本代表のユニホーム、
ボール、ノックバット、家族からの手紙が納められました。

 

◇出棺 

小枝さんが好きだった、拓大紅陵吹奏楽部が奏でる
「勝利のテーマ」が
流される中、出棺しました。

 

2019年1月23日
河原 健次 高校野球私設応援団 管理人)

 

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

 

17.まだ書き足りません

まだ書き足りません。

 

私の心の中でくすぶっているものを全部はき出します。

 

17-1.早朝練習で

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2004年1月11日 拓大紅陵にて

拓大紅陵の早朝練習を見させてもらったのは、

2002年ごろだったと思います。

 

父母会のかたから話を聞いたのがきっかけでした。

 

とにかく朝が早くて、

寒かったのを記憶しています。

 

起床:朝3時ごろ

気温:2℃(これでもまだマシなほう)

 

17-2.選手の額に汗

 

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2007年12月28日 拓大紅陵にて

真冬の早朝というのに、

選手たちは汗をかいていました。

 

それだけ練習が過酷だった、

ということです。

 

別に汗を見なくてもその過酷さは分かりました。

 

そんな過酷な練習を3時間も続けるのです。

 

17-3.グラウンドに降りて写真を

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

私はその練習振りを写真におさめました。

 

いえ、あの過酷さを写真に納めたい、

納めなければならないと思ったのです。

 

最初は遠巻きに撮影していましたが、

もう少しそばに寄りたいと思いました。

 

彼らの迫力や息づかいを撮りたかったからです。

 

17-4.小枝監督に許可を

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

そこで、小枝監督にお願いしました。

 

グラウンドに降りて撮影したい、と。

 

小枝監督は拒否しませんでした。

 

それどころか、

気持ちよくOKをしてくれたのです。

 

あのときは嬉しかった。

 

グラウンドでの撮影を許可してもらったことより、

私の気持ちを分かってくれた

とのほうが嬉しかった。

 

私の写真は、

決して好奇心や野次馬で撮っていない、

そのことが分かってもらえたことが嬉しかったのです。

 

17-5.監督と同じ気持ちになれた

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

 

私は、

決していい加減な気持ちで、

写真を撮っていません。

 

日頃から、

高校生の純粋な気持ちを撮りたいと思っていました。

 

この早朝練習も同じです。

 

彼らのひたむきさを、

もっと近くで撮りたいと思っていただけなのです。

 

それを小枝監督は分かってくれました。

(と、思っています)

 

さらに生意気なことを言わせていただくと、

 

小枝監督と同じ気持ちになれたことです。

 

選手を人間としてとらえ、

成長させようとする気持ち。

 

それが通じ合えたのです。

 

17-6.しかし謙虚に

その後もグラウンドに降りて撮影させていただきました。

しかし、

私は自分に言い聞かせていました。

 

◆とにかく謙虚に。

自分だけがグラウンドで写真を撮っていることに、


「オレは特別なんだ」

 

「他の人とは違うんだ」

 

と、鼻にかけてはいけない。

 

自慢してはいけない。

 

格好をつけてはいけない。

 

そして、

いつもこう思っていました。

 

つねに選手を尊敬すること。

 

選手こそが主役なのだ。

 

これは「思う」とか、

「意識する」とかではなく、

私は自然とそういうふうになったのです。

 

17-7.選手には決して話しかけない

 

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2005年11月13日 拓大紅陵にて

練習中は一切の言葉をかけませんでした。

 

私は部外者なのです。

 

野球関係者でないのです。

 

指導者でもないのです。

 

それは、

小枝監督との間で暗黙の約束が出来ていました。

 

でも、練習が終わると選手たちとよく言葉を交わしました。

 

「よくがんばったな」

 

「ケガ、大丈夫?」


練習が終わっても、

いつも彼らが主役だったのです。

 

自分が年上だとか、

人生の先輩とかは関係ありません。

 

いつも、

彼らを敬う気持ちを忘れませんでした。

 

小枝監督も、
いつもそんなふうに、

思っていたのではないでしょうか。

 

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2006年12月3日 拓大紅陵にて

 

17-8.選手とは一定の距離を

私は部外者です。

 

親でもなければ、

指導者でもありません。

 

だから、

選手たちとは一定の距離を保っていました。

 

もちろん、さびしさはありました。

 

しかし、

これ以上近づいてはいけないと思っていました。

 

だから、

小枝監督も理解してくれたのだと思います。

 

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2005年12月18日 拓大紅陵にて

 

18.写真集

ここに写真集を掲載します。

 

枚数はどのくらいありますでしょうか。

 

多分、200枚以上はあると思います。

 

まだ未掲載なものもありますが、

目についたものからアップさせていただきました。

 

本稿の写真は、

全部私が撮ったものです。

(と、自慢するつもりはありません)

 

1枚1枚、心を込めて撮りました。

 

決してうまいとは思っていません。

 

というか、

そんな次元の話ではないと思っています。

 

この写真は、

私と小枝監督との心のキャッチボールなのです。

 

もちろん、

私のほうから一方的に投げていますが・・。

 

もっというと、

監督への尊敬の気持ちがこの写真に込められています。

 

私は写真を撮るときは、

いつもシャッターを押す人差し指の先に、

全神経を集中させています。

 

その人差し指を通して、

私の心が写真に乗り移っています。

 

だから言えるのです。

 

この写真は、

私にしか撮れません。

 

この写真は、

私の分身です。

 

うまいとかヘタとか、

そんなのは関係ないのです。

 

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2002年8月17日 拓大紅陵にて

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2003年4月19日 拓大紅陵にて

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2004年5月4日 千葉県野球場にて

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2005年11月13日 拓大紅陵にて

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2005年11月13日 拓大紅陵にて

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2014年3月22日 拓大紅陵にて

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2014年5月3日 拓大紅陵にて

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2014年3月22日 拓大紅陵にて

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2005年1月30日 拓大紅陵にて

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2003年1月5日 於.拓大紅陵にて

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2003年1月26日 拓大紅陵にて

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2003年4月19日 拓大紅陵にて

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2003年4月19日 拓大紅陵にて

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2003年4月27日 市原臨海球場

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2003年5月3日 千葉県野球場

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2003年6月8日 袖ヶ浦球場にて

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2003年9月7日 袖ヶ浦球場にて

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2004年1月11日 拓大紅陵にて

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2004/02/11 拓大紅陵グラウンドにて

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2004/02/21 拓大紅陵グラウンドにて

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2003年6月8日 袖ヶ浦球場にて

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2003年8月30日 拓大紅陵にて

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2003年12月14日 拓大紅陵にて

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2003年11月16日 拓大紅陵にて

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2003年11月16日 拓大紅陵にて

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2003年11月16日 拓大紅陵にて

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2003年12月20日 拓大紅陵にて

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2003年12月20日 拓大紅陵にて

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2004年1月25日 拓大紅陵にて

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2004年1月25日 拓大紅陵にて

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2004年4月9日 拓大紅陵にて

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2004年4月9日 拓大紅陵にて

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2004年5月4日 市原臨海球場にて

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2004年6月20日 市原臨海球場にて

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2004年6月20日 市原臨海球場にて

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2004年6月20日 市原臨海球場にて

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2004年8月1日 拓大紅陵にて

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2004年12月18日 拓大紅陵にて

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2004年12月18日 拓大紅陵にて

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2005年3月21日 拓大紅陵にて

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2005年3月21日 拓大紅陵にて

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2005年3月21日 拓大紅陵にて

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2005年4月3日 拓大紅陵にて

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2005年5月5日 拓大紅陵にて

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2005年5月21日 拓大紅陵にて

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2005年5月21日 拓大紅陵にて

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2005年11月13日 拓大紅陵にて

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2005年12月17日 拓大紅陵にて

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2005年12月17日 拓大紅陵にて

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2006年1月8日 拓大紅陵にて

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2006年7月2日 拓大紅陵にて

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2006年7月2日 拓大紅陵にて

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2006年7月16日 習志野秋津球場にて

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2006年12月3日 拓大紅陵にて

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2006年12月3日 拓大紅陵にて

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2006年12月20日 拓大紅陵にて

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2006年12月20日 拓大紅陵にて

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2007年9月29日 拓大紅陵にて

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2007年11月23日 拓大紅陵にて

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2007年11月23日 拓大紅陵にて

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2007年11月23日 拓大紅陵にて

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2007年11月23日 拓大紅陵にて

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2007年12月2日 拓大紅陵にて

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2007年12月2日 拓大紅陵にて

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2007年12月2日 拓大紅陵にて

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2007年12月15日 拓大紅陵にて

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2007年12月15日 拓大紅陵にて

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2008年1月6日 拓大紅陵にて

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2008年4月6日 拓大紅陵にて

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2008年4月6日 拓大紅陵にて

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2008年4月6日 拓大紅陵にて

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2008年5月18日 拓大紅陵にて

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2008年6月28日 拓大紅陵にて

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2008年10月19日 拓大紅陵にて

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2008年12月21日 拓大紅陵にて

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2008年12月27日 拓大紅陵にて

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2008年12月27日 拓大紅陵にて

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2009年1月11日 拓大紅陵にて

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2009年7月25日 千葉マリンスタジアムにて

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2009年8月16日 拓大紅陵にて

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2009年11月21日 拓大紅陵にて

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2009年12月5日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月27日 拓大紅陵にて

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2009年12月27日 拓大紅陵にて

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2009年12月27日 拓大紅陵にて

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2010年1月6日 拓大紅陵にて

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2010年1月6日 拓大紅陵にて

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2010年1月6日 拓大紅陵にて

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2010年11月13日 拓大紅陵にて

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2010年12月23日 拓大紅陵にて

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2011年1月8日 拓大紅陵にて

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2011年3月27日 拓大紅陵にて

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2011年5月5日 拓大紅陵にて

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2011年10月30日 君津高校にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年12月17日 拓大紅陵にて

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2011年12月17日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年4月15日 袖ヶ浦球場にて

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2012年5月12日 拓大紅陵にて

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2012年7月1日 拓大紅陵にて

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2012年7月7日 拓大紅陵にて

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2012年7月15日 拓大紅陵にて

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2012年7月15日 拓大紅陵にて

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2012年11月4日 市原臨海球場にて

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2012年11月4日 市原臨海球場にて

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2013年1月5日 拓大紅陵にて

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2013年1月5日 拓大紅陵にて

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2013年3月9日 拓大紅陵にて

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2013年3月30日 拓大紅陵にて

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2013年6月23日 拓大紅陵にて

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2013年7月8日 拓大紅陵にて

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2013年7月8日 拓大紅陵にて 志学館との交流戦

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2013年7月8日 拓大紅陵にて 志学館との交流戦

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2013年7月8日 志学館との交流戦 左隅に半分だけ(すみません)

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2013年10月27日 拓大紅陵にて

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2013年11月23日 拓大紅陵にて

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2013年12月28日 拓大紅陵にて

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2013年12月28日 拓大紅陵にて

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2013年12月28日 拓大紅陵にて

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2014年3月8日 拓大紅陵にて

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2014年3月8日 拓大紅陵にて

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2014年3月22日 拓大紅陵にて

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2014年3月22日 拓大紅陵にて

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2014年5月3日 拓大紅陵にて

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2014年5月3日 拓大紅陵にて

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2014年5月3日 拓大紅陵にて

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2014年5月3日 拓大紅陵にて

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2014年5月3日 拓大紅陵にて

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2014年5月3日 拓大紅陵にて

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2010年4月18日 拓大紅陵にて

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2008年8月3日 拓大紅陵にて

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2008年8月3日 拓大紅陵にて

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2008年6月28日 拓大紅陵にて

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2010年9月26日 拓大紅陵にて

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2007年12月2日 拓大紅陵にて

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2007年12月2日 拓大紅陵にて

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2007年12月16日 拓大紅陵にて

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2004年7月20日 拓大紅陵にて

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2006年8月18日 横浜高校にて

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2006年7月16日 習志野秋津球場にて

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2007年9月11日 袖ヶ浦球場にて

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2013年4月20日 拓大紅陵にて

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2013年6月23日 拓大紅陵にて

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2013年6月23日 拓大紅陵にて

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2002年11月24日 拓大紅陵にて

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2002年11月24日 拓大紅陵にて

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2002年11月30日 拓大紅陵にて

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2002年11月30日 拓大紅陵にて

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2003年11月22日 拓大紅陵にて

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2003年11月23日 拓大紅陵にて

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2003年12月14日 拓大紅陵にて

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2003年12月20日 拓大紅陵にて

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2003年12月20日 拓大紅陵にて

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2004年1月11日 拓大紅陵にて

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2004年11月14日 拓大紅陵にて

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2004年11月14日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年11月27日 拓大紅陵にて

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2004年12月5日 拓大紅陵にて

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2005年11月13日 拓大紅陵にて

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2005年11月13日 拓大紅陵にて

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2005年11月13日 拓大紅陵にて

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2005年12月17日 拓大紅陵にて

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2006年7月28日 拓大紅陵にて

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2006年7月28日 拓大紅陵にて

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2006年7月29日 拓大紅陵にて

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2006年7月29日 拓大紅陵にて

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2006年12月3日 拓大紅陵にて

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2006年12月23日 拓大紅陵にて

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2007年12月15日 拓大紅陵にて

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2007年12月16日 拓大紅陵にて

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2007年12月28日 拓大紅陵にて

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2008年1月6日 拓大紅陵にて

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2008年7月12日 千葉マリンスタジアムにて

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2008年12月6日 拓大紅陵にて

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2008年12月21日 拓大紅陵にて

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2008年12月27日 拓大紅陵にて

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2008年12月27日 拓大紅陵にて

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2009年1月11日 拓大紅陵にて

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2009年1月11日 拓大紅陵にて

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2009年1月11日 拓大紅陵にて

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2009年8月16日 拓大紅陵にて

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2009年11月21日 拓大紅陵にて

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2009年11月28日 拓大紅陵にて

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2009年12月5日 拓大紅陵にて

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2009年12月5日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月19日 拓大紅陵にて

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2009年12月27日 拓大紅陵にて

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2009年12月27日 拓大紅陵にて

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2009年12月27日 拓大紅陵にて

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2010年1月6日 拓大紅陵にて

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2010年1月6日 拓大紅陵にて

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2010年1月6日 拓大紅陵にて

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2010年12月23日 拓大紅陵にて

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2010年12月23日 拓大紅陵にて

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2010年12月23日 拓大紅陵にて

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2010年12月23日 拓大紅陵にて

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2011年1月8日 拓大紅陵にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年11月23日 拓大紅陵にて

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2011年11月26日 拓大紅陵にて

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2011年12月17日 拓大紅陵にて

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2011年12月17日 拓大紅陵にて

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2011年12月17日 拓大紅陵にて

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2011年12月17日 拓大紅陵にて

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2011年12月24日 拓大紅陵にて

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2011年12月24日 拓大紅陵にて

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2011年12月28日 拓大紅陵にて

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2011年12月28日 拓大紅陵にて

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2011年12月28日 拓大紅陵にて

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2011年12月28日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月7日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年1月8日 拓大紅陵にて

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2012年11月23日 拓大紅陵にて

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2012年11月23日 拓大紅陵にて



19.更に古い写真ですが

もう少し古い写真を掲載させていただきます。

選手たちのユニフォームが旧式です。

でも私はこのユニフォームのほうが好きです。

今のはピタピタで何だか水着っぽくてなじめません。

 

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2002年11月4日 拓大紅陵にて

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2002年11月24日 拓大紅陵にて

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2002年11月24日 拓大紅陵にて

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2002年12月15日 袖ヶ浦球場にて

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2003年1月26日 拓大紅陵にて

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2003年12月14日 拓大紅陵にて

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2004年1月11日 拓大紅陵にて

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2004年1月25日 拓大紅陵にて

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2004年1月25日 拓大紅陵にて

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2004年1月25日 拓大紅陵にて

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2004年2月7日 拓大紅陵にて

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2004年2月7日 拓大紅陵にて

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2004年2月7日 拓大紅陵にて

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2004年2月11日 拓大紅陵にて


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※更新履歴※

【更新】2020年1月3日、4日、5日、6日、7日、8日、10日、11日、12日、13日、14日、15日、19日、20日、21日、22日、26日、4月27日、9月8日、2021年5月21日、2022年6月14日
少しだけ校正させていただきました。

【更新】2020年1月29日
写真追加。19項へ+4枚

【更新】2020年1月28日
写真追加。19項

【更新】2019年11月5日
記事追加。(4.早朝練習)

【更新】2019年10月10日
一部加筆修正しました。

【更新】2019年9月28日
全体をスッキリさせました。 

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