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こんにちは、拙作ブログのご紹介です。このブログは河原健次がお届けしています。大分市出身、木更津市在住です。すでに半世紀以上も生存しています。その長い歴史から、日常生活や人生に参考になりそうな情報を提供しています。読者のみなさんに役立つことを願っています。

東日本大震災、あれから丸8年、記憶が薄れる前にブログに書いておこう

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2011年3月14日(月)朝日新聞朝刊より

こんにちは。
拙作ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は東日本大震災について書きます。


思い出したくもない大災害ですが、
忘れてはならないことです。

 

この原稿を、
ちょうど丸8年が経った今日、

2019年3月11日に投稿します。

 

まずは、冒頭の写真を見てください。

朝日新聞からの切り抜きです。
2011年3月14日(月)の朝刊です。

 

私は、この写真を見て
ボロボロと涙を流しました。


まさに、この写真の女性と同じ気持ちです。

喪失感、虚無感

背景の壊れかけた建物。
周りの瓦礫の山。

すべてが終わった感じがしました。

どこから手をつけていいのか。

 

大自然相手では、
文句の持って行きようがありません。

 

だから、耐えるしかありません。

 

誰を恨むこともなく、
ただ耐えるのです。

 

この写真は、
そう訴えていました。

 

8年振りに取り出した写真です。

多少、色あせていましたが、
当時の記憶は、
昨日のように鮮明に残っています。

あの日から丸8年のこの日に、
あの日の記憶を自分史に残しておきます。

 

 

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1.東日本大震災の概要

以下は東日本大震災の概要です。

◇出典:ウイキペディア

新聞の切り抜きです。

 

1)大地震

◇日時:2011年(平成23年)3月11日(金曜日)
14時46分18秒(日本時間)

◇場所:宮城県牡鹿半島の東南東沖130km

◇規模:マグニチュード (Mw) 9.0

◇死傷者:2018年(平成30年)9月10日時点
死者 1万5,896人
重軽傷者 6,157人、
行方不明者 2,536人

2)福島原発事故

福島第一原子力発電所津波で電源を失いました。
それが原因でメルトダウン(炉芯溶融)が発生。
1・3・4号機はガス爆発を起こして、
原子炉建屋、タービン建屋および周辺施設が大破しました。
(4号機は定期検査中だったが、3号機から給電停止と共に開放状態であった)

格納容器内の圧力を下げるために行われた排気操作(ベント)や、
水素爆発、格納容器の破損、配管の繋ぎ目からの蒸気漏れ、
冷却水漏れなどにより、
大気中・土壌・海洋・地下水へ、
大量の放射性物質が放出された。

史上例を見ない
大規模な原発事故となりました。

 

2.地震発生時

東日本大震災発生時の私の体験を述べます。

ちなみに私の在住地は下記です。

◇私の在住地 : 千葉県木更津市

 

1)家内と市原の病院にいるときに。

地震に遭遇したのは、市原の病院にいる時でした。

◇市原 帝京大病院

家内の通院に付き添っていました。


その病院内で強烈な揺れを感じました。

 ◇市原、木更津の震度:震度5弱

◆慌ててナース ステーションへ。

我々は、
慌てて採血室(ナース ステーション)へ飛び込みました。


看護師さんが、

 

「こっちへ来てーっ!」


と、大声で呼んでくれたからです。

 

すぐさま、
机の下にもぐり込みました。

 

◆2回目の揺れ。

10分ぐらいがたったでしょうか。


2回目の揺れが来ました。
揺れの大きさは1回目と同じです。

このときは、家内は診察中でした。

先生(主治医)曰く

「この病院は古いので、
いつ壊れてもおかしくない」

 

といいながら、
裏の非常扉を開けてくれたらしい。

すぐ外に逃げ出せるように、
気遣ってくれたのです。

 

2)電話がつながらない。

とっさに、家のことが心配になりました。


持っていた携帯で家に電話するも、
まったくつながりません。


電話回線がパンク状態でした。

みんなが一斉に携帯回線に殺到したからでしょう。

 

◆公衆電話はOK。

ところが、公衆電話はOKでした。

一発でつながりました。


開口一番、

「みんな大丈夫?」
「大丈夫だよ」

一安心です。

家の中も大丈夫なようです。

倒れたり、
壊れたりしたものはなかったようです。

テレビや食器棚も無事だったようです。

 

3)テレビを見てびっくり。

ほっとして、
病院の待合いコーナーに座り込みました。

テレビで被災地の様子を流していました。

 

釜石の映像でした。

 

私が出張でよく行く釜石の町です。

その釜石の町が、
津波に飲み込まれていたのです。

不謹慎ながら、
映画の1シーンを見ているようでした。

足がすくみました。

目を疑いました。

 

4)近くのコンビナートから黒煙が。

病院からの帰りでも異様な光景を見ました。

近くのコンビナートが燃えていたのです。

赤い炎と一緒に、黒煙が立ちこめていました。

まだ昼間なのに、
夜のような感覚を覚えました。

空が黒煙に覆い尽くされて、
明かりがないのです。

 

その暗さが、
恐怖をますますかき立てます。

 

家内との会話が、
浮ついているのが分かりました。

とにかく家に早く帰ろう。

 

5)電池を買いあさる。

翌朝、いつもより早く起きて、
近くの家電量販店へいきました。

停電に備えて、
懐中電灯用の電池を買うためです。

 

ところが、電池はありませんでした。

 

売り切れです。


どこの店にも在庫がない。
コンビニにもない。

即座に、大分の知人へ電話を入れました。

「電池を確保しておいて」

 

3.三日目に出張へ

災害発生の3日後に出張へ行きました。

行きたくなかったのですが、
大事な会議でしたので、仕方がありません。

 

1)原発事故が気になる。

私が一番心配だったのは、
原発事故です。

放射性物質

福島の原発事故の影響で、
放射性物質が大量に流れ出した

とのことです。

風向きによっては、
関東にも放射性物質が流れてくるとのこと。

そうなれば、
別の安全な場所に非難しなければなりません。

そんな最悪のことを考えていました。

 

原発は爆発を繰り返すし。

肝心な原発は爆発を繰り返していました。

ヘリコプターや放水車で水をかけて、
なんとか炉芯を冷やそうとしています。

しかし、
いっこうにおさまる気配はありません。

 

◆政府の無責任発言。

政府(枝野官房長官)の言うことは一つ。

「直ちに問題が生じることはありません」

のんきな話です。

その時点では、
原子炉の状態は、なにも分かっていませんでした。

問題の範囲や、損傷の程度も
全然分かっていなかったときの公式発言です。

ふざけた話です。

そんな状況で家族を置いての出張でした。

行き先は大分です。

 

4.出張先(大分)ではよそ事のよう

ところが、
出張先の大分では普通の暮らし振りでした。


もちろん、どのチャンネルでも大震災を扱っていました。

 

ところが、
テレビをみる姿に緊張感がないのです。

 

なんだか、よそ事のように見ているのです。

私だけが、やきもきしていました。

 

放射性物質
房総のほうに来たらどうしよう」

 

5.計画停電

福島原発事故とともに、
関東圏で計画停電が始まりました。

1)計画停電の概要。

◇頻度 : 1日に2回

◇期間 : 約1ヶ月間

◇時間 :
 1回目 6:20~10:00のうち3時間程度
 2回目 16:50~20:30のうち3時間程度

上記時間帯は輪番制で、
定期的に変わるものでした。

2)生活様式が一変。

この計画停電で、
生活様式が変わりました。

◆停電時間が中心。

とにかく、
停電時間を中心で生活を組みました。

①停電前に・・
⇒ ご飯のしたくをする、洗濯をする。

②停電中は・・
⇒ ご飯停電中にを食べる、暖かくする。

停電中は、暖をとるために、
毛布をかぶっていました。
(3月といっても夜は冷えました)

電気がくるまでの3時間は、
じっと耐えるしかありません。

 

◆節電意識が高まる。

この時ほど、
電気の大切さが身にしみたことはありません。

「電気を大切にしよう」

会社でも家庭でも、
電灯はこまめに消しました。

この習慣は今でも続いています。

「節電」

です。

と同時に、

「東電には1円でも払いたくない」

という意識で、節電しました。
(この気持ちは今でも変わりません)

あんな会社は大嫌いだ。

 

6.防災訓練

この年(2011年)は、いつもと違って、
防災訓練に力が入りました。

防災訓練には、ほぼ全世帯が参加しました。

炊き出しの訓練までしました。

防災意識が高まっていたのでしょう。

◆しかし、段々と下火に。

ところが時間がたつにつれて、
この防災訓練は普通の状態に戻ってしまいました。

意識が薄れるのは早いものです。

震災の年は、あんなにマジメにやっていたのに・・。

7.風化させまい(まとめに代えて)

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どうでしたか。

1)釜石の地にて。

www.youtube.com

www.youtube.com

震災発生後5年目で、
初めて被災地に立ちました。


岩手県釜石市です。

 

そのときに見た海は穏やかでした。

当時の映像のように大津波が来たとは、
想像すらできませんでした。

 

しかしよく見ると、
あちらこちらにその爪痕は残っていました。

そこに、
私のような者が土足で踏み込んで良いのか。

死人を冒涜するのではないか。

そんな気持ちになったことを覚えています。

そこら中に命を奪われた人たちの
霊がいるような、、


そんな不思議な錯覚をして、
そっと手を合わせました。

 

海はあいかわらず穏やかでした。

あのときの「怒り」がウソのようです。

 

ただただ、私は合掌しました。

 

8.朝日新聞のコラム(抜粋)より 2011年3月16日朝刊

百年に一度とも、千年に一度とも論じられる
地震の破壊力を目の当たりして、
各国が、これまで世界一と信じた
日本の震災対策の限界を悟った。

日本ですら津波を予知予防できない現実におびえ、
安全を誇った原子力発電所からあがる白煙に身震いした。

それでもなお海外の人々は、
日本の被災者たちの沈着で節度ある態度に
賛嘆を惜しまない。

苦境にあっても天を恨まず、
運命に耐え、助け合う。

日本の市民社会に対する世界の信頼は、
少しも揺らいでいない。

 

「未曾有の災害」といえば
それまでです。


人類の知恵をもってしても、
防ぎようのない自然災害。

そのなかで、
我々にできることは、
命を救うことです。

命さえあれば、
なんとかなります。

防災ではなく、減災です。

これを考えていかなければなりません。

 

 最後までお読みいただき、
ありがとうございました。 

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※更新履歴※ 

【更新】2019年9月8日
CMリンク追加ほか。

【更新】2019年8月4日
「目次」を追加しました。
これで少しは読みやすくなったと思います。

 

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